サムシング・ニューという道標

ジャニーズWEST最新曲、「サムシング・ニュー」を聞いたとき、「私の歌だ」と思った。

 

私は「すき」を拠り所にして「すき」に救われて生きている。アイドル、大振りのピアス、たまに友達とする贅沢な食事、東京行きの始発の新幹線、挙げればきりがないくらい大小様々な「すき」を私は抱えている。それらは私の人生全てをまるっと無条件で幸せにしてくれるわけではないけれど、何もかも放り出したい投げやりな衝動を優しく包んでくれたり、零れ落ちそうな涙をギリギリで引っ込めてくれたりする。だから、働く意味がわからないと喚く夜があっても翌朝8時にはタイムカードを押しているし、もうどうにでもなれと思う日と、私の人生なかなか良いじゃんと思う日を交互に繰り返して日々の生活を続けているのだ。

 

「すき」は私を強くしてくれる。

 

 

サムシング・ニューは私が大切にしているたくさんの「すき」とそれらと共に生きている私を全面的に肯定してくれた。

ジャニーズという最高峰のアイドルグループの不動のセンターとして君臨する重岡くんが愛くるしいキラキラスマイルと力強い声色で「僕らは最強なんだぜ」と歌い始めるこの最新曲。説得力しかない。その後続く「愛も闇も仕事も君も全部 この背中で戦ってみせるよ」という歌詞も、苦汁をなめて奥歯噛みしめてやってきたのだろうと思わせる逞しさと猛々しさがあるジャニーズWESTが歌うこのフレーズに、私ももう少し、と思わされる。戦う人の歌を戦わずに笑うやつには負けたくない。

2番で最年少小瀧くんが「渡すものか!僕の好きな人」と歌うのも良い。私も私のすきなものを勝手に奪われたくないし土足で踏み荒らされたりしたくない。自分のすきなものは自分だけのものだ。

 

Mステでシンプルなブラックスーツに色とりどりの花束で歌う彼らはウェディングソングのテーマにふさわしく花婿のようでときめいたし、CDTVでカジュアルな衣装を身に纏って爽やかに歌い上げる彼らはGW中日の月曜の夜を盛り上げてくれた。でも一番は、通常盤購入特典として見ることができたLiveRecording映像だ。彼ら自身に魅了されて、彼らが歌うこの曲に魅了されて、お金を出した人にしか見られないあの映像で、7人横並びで熱量高く自分たちを自分たち自身で「僕らは最強なんだぜ」と心の底から疑っていないように歌う姿が眩しくて最高で最強だった。私もそうありたいと強く思った。

 

 

私を支える「すき」の代表格であるジャニーズアイドルが、私を肯定してくれると感じられるような歌を歌ってくれる。

基本的にアイドルはこちらには何の関心もなくて私とアイドルの目線は絶対に交わらないからこそ、最大出力で愛情を注ぐことができる。そうやって一方的に恋い焦がれるだけなのだが、ごくたまにガチリと視線が合わさり同じ世界線で生きている感覚になる時がある。そんな時の幸福度は筆舌しがたいもので、今回のサムシングニュー・ニューとの出会いがまさにそれだった。これだからアイドル好きはやめられない。

 

 

「すき」は私を強くしてくれる。「すき」を頼りに今日という日を乗り越えて行くし、「すき」は私を守り私の人生を最後まで援護してくれる。「すき」があるから戦える。

 

心にたくさんの「すき」を置いている私は、きっと、最強なんだぜ。

 

 

デビューに寄せて

こんにちは、SnowManデビューの世界。

よろしくね、SnowManデビューの世界。

 

 

デビューして早一ヶ月。発売3日でミリオン達成して、まだかまだかと焦がれていたアジアツアーも発表されて、阿鼻叫喚の当落結果にざわめいて、きっとこれからもっともっと広い大きなステージに立っていくんだろう。夢が、期待が、膨らんでいくね。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

ちょうど一年ほど前、それまで6人体制だったSnowManの9人組としての新体制が発表された。当時の私は同級生ばかり6人のSnowManの、チャライケ男子高校生の日常を切り取ったような懐かしい眩しさと阿吽の呼吸で成り立つ抜群のチームワークがすきだった。だから新体制にひどく否定的だった。

ささくれのようなじわりじわりと地味な痛みが続いて、しがないすの担の本音、なんていう愚痴っぽいブログを書いた。自分で自分を否定したくないから消していなかったけど、今読み返すとまあなんて愚痴っぽい。あとで消そう。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

いやだいやだと言いながらも、なんだかんだで2ヶ月後には9人体制初のコンサートに行っていた。コンサートの前日は初デートの前の晩くらいドキドキしてた。まあ眠れないくらいドキドキするデートなんてしたことないけど。

当日は私のすの担史上最高のグッズ列だった。ぞくぞくした。これが全部SnowManのファンかと思ったらぞくぞくしてたまらなかった。

コンサートが始まると、もう、夢中だった。やっぱり9人いやだなとか思ってしまったらどうしようなんて心配していたことさえあっという間に忘れていた。パフォーマンス、雰囲気、どれをとっても見劣りなんてしなかった。何よりも、センターに立つラウールくんの圧倒的な存在感にひれ伏した。9人体制が発表されたとき、センターにラウールくんが立つ写真を見て「中学生にとられるなんて」と憤ったけれど、ジュニア歴十数年の彼らを抑えてあっさりセンターに君臨する中学3年生は、そりゃあ只者じゃなかった。息をのむほどの華やかさと15歳らしい愛くるしさと思春期特有のギラッギラの全能感に、目も心も奪われた。人を惹きつけるってこういうことなんだとさえ思った。あとわたしはショタコンなので中学生という肩書きが単純に好きだった。

実はわたしはこのコンサート、申し込みすらしていなかった。唐突な変化に面食らい考えても仕方ないのに考えて考えて考え過ぎて、そんなふうにうじうじしてたら申し込む勇気が出なかった。素敵なふか担のフォロワーさんに連番しようと誘ってもらった。人との繋がりとか縁て大事だなと思った。きっとこの繋がりがなければこのコンサートに足を運ぶこともなくて、9人のSnowManを目の当たりにすることもなくて、変化に戸惑い憤りながらそのうち憤ることに疲れて、疲れちゃったしもういいやと手放していただろうと思う。それならそれでよかったのかもしれない。別にアイドルを応援するだけが人生のすべてじゃない。わたしの人生をほんの少し豊かにしてくれるだけだもの。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

それでも。

 

 

それでも、ふっかさんが言った。

「人生を賭けることにしました。」と。その言葉が全てだと思った。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

あとは誰も何も言わなかった。

9人になりましたとも、これから新しい体制ですとも、本当に何も言わなかった。ただ最後に、みんなで地声で「愛してる」と叫んでくれた。もはや定番になったアンコールでのAcrobatic、自担にイケメン!と思い切り叫べるこの最高のアンコール曲で、音楽が途切れたほんの一瞬、その一瞬で「愛してる」と叫んでくれた。泣けて泣けて仕方なかった。

 

 

謝罪も懇願もアイドルには似合わない。世界中のスポットライトをぜんぶ浴びているかのような輝きで笑っていてほしい。それがアイドルだと思う。

 

コンサートが終わって出てきた頃にはもうすっかり胸にできたささくれは治っていた。「今までもこれからもずっとSnowManがすきだ!」と大声で叫びたいくらい満ち足りていた。

 

 

 

それからあっという間に一年。デビューという大きな新しいスタートを切った。嬉しくて幸せでそして、誇らしかった。

 

 

SnowManを見ていると、背筋がしゃんとする。自分の人生もちゃんとしなきゃ、ちゃんと努力してちゃんと生きなきゃと思える。ドキドキしたりときめいたりしながら、同じくらいかっこいい人間になりたいと、自分を奮い立たせることができる。

 

たかがアイドル。

されど、アイドル。

 

ただのアイドルSnowManはわたしにとって人生をちゃんとするためのけっこう大きな原動力になっている。だから応援し続けたいし、その存在に鼓舞され続けたい。

 

 

 

 

 

デビュー、おめでとうございます。

SnowManに、幸多からんことを。

2020.02.22

 

 

 

 

 

 

ジャニーズJr.を応援するということは

来月、23歳の誕生日を迎えます。

まだ23歳、されど23歳。

平成生まれのゆとり世代。ゆとりとは程遠く日々忙殺される社会人一年目だけど、仕事には就いたばかりで、社会の荒波にはまだ全然揉まれていなくていいとこ撫でられた程度の、世間的に見れば学生上がりの小娘。

それでも確実に23歳は大人であって、あまり多くはない友人たちは結婚という人生の選択肢を選びつつある。

そんななかでわたしは、結婚の気配もなく恋愛に関心も薄くジャニーズJr.深澤辰哉くんに夢中なジャニオタ社会人生活を送っている。

結婚したいわけじゃない。ていうか全然したくない。それなのに、結婚という言葉を聞くたび、胸の奥で森の木々が風で揺さぶられるようにざわざわと不穏な空気を漂わせるのは、どうしてだろう。恋愛に意欲的になれない自分がどこか欠陥品のような気がしてしまうのはなぜだろう。

友人に限らず男女問わず、同年代の方たちが恋人や恋愛事に使っている時間をお金をわたしはたぶん、アイドルひいてはオタク活動に費やしている。同じコンサートに何度も行くし、たった数ページしか載らない雑誌も毎月買う。ジャニショの写真や公式グッズはもちろん、先輩グループのコンサートにつけばそのコンサートDVDやMV目当てのCDも買う。主に応援しているのがジャニーズJr.なせいか、僅かな供給を一滴も零すまいと真剣になっている。

 

結局は楽しいから良いのだけど、こんなに熱心に心を傾けていて、彼らがデビューを諦めたときわたしの心はどうなるんだろう、とふと思う。デビュー組であったとしてもアイドルに絶対も永遠もないと思い知らされた昨今のアイドル事情において、深澤くんが唐突にアイドルをやめてしまう可能性もゼロではなくて。もしも深澤くんがアイドルを手放してしまったら?彼らに払ったお金は?使った時間は?わたしの人生は?大好きなアイドルがいなくなってしまったとき、わたしには何が残るのだろう。彼らに注いでいた熱情は時間はお金は何もわたしに残してはくれないのだろうか。

数年後、ジャニオタでなくなった自分を想像して、日々潤いとトキメキを得ることもなく夢中になるものもなくただ漫然と一人で生きる姿に、ちょっぴり怖く、そしてたまらなく虚しくなる。 

 

 

アイドルは、偶像崇拝

自分の人生があってこそのオタク活動。

 わかってはいるけれど、それでもたまに、ごくたまに、たくさんの人に夢とトキメキを与えてたくさんの人を笑顔にして大切な仲間と時間を共有して手を取り合って充実した人生を送っているように見えるアイドルくんたちが、眩しくて眩しくて直視できない時がある。 

 アイドルと自分を比べて空っぽな自分を嘆いてそしてそんな自分をばかみたいだと嘲りたくもなる。

 

眩しいくらい輝くものは、同時に影をも作り出すって言ったの誰だっけ。 

 

 ジャニーズJr.に夢中になるということは、より不透明な未来に期待を寄せ願いを込めトキメキを求めること。難しいこと考えず、ジャニオタの美味しいところだけを味わって楽しくオタクしようね。

おわり

1800円で重岡くんと恋ができるよ

 溺れるナイフ公開初日、仕事があったのだけどどうしても見たかったから無理やり切り上げて夜6時半、映画館に滑り込み。お目当てはもちろん重岡くん。序盤は、少女マンガの実写化にありがちな三段飛ばしくらいの急展開で、えっどうしてそうなったの?なんでこうなってるの?と疑問符浮かべていたのだけど、気づけばそんな違和感はすっかり消え去って、目を背けたくなる苦しさと一時も見逃したくない高揚感がないまぜになっていて、観終わったら疲れ果てていた。そんな溺れるナイフの感想と考察。

【大友勝利と重岡大毅

前評判でも言われていたように、本当に重岡くんにぴったりの役柄だったと思う。明るく前向き、誠実で思慮深くそれでいて絶妙な雄らしさ。確かに大友って重岡くんぽいんだけど、キャラクターが似ているからといって完全に重岡大毅であることはなかったし、あくまで重岡くんぽいだった。特に夏芽とのキスシーン。夏芽に唇を寄せつつも、一瞬顎を引いてキスを躊躇う大友。照れとも違う一瞬の躊躇い、なんとも言えない間。その一瞬があるかないかで観客のドキドキ感違ってくるだろうし、最高に甘酸っぱいキスシーンになっていたなと思う。あの一瞬の絶妙な間は、重岡くんの自然体な演技なんだろうなあ。キスシーンを撮ったあと、神山くんに「キスシーン撮ってきたで」と報告したというエピソードまで含めて、良いキスシーンだった。

夏芽の「好きにならないよ」という言葉に対して「おれは、そういうのはええんじゃ」と返す大友もすき。大友は強い男の子だよね。コウちゃんの強さとは質が違う。コウちゃんは永遠に頂点に君臨し続ける強さだけど、大友は努力が報われなくてもプライドへし折られても何度でも立ち上がることができる強さ。重岡くんの秘めたる闘志や堅実さが上手に反映されてるなあと思った。だから夏芽とは大友には手放しで感情を吐露できるんじゃないだろうか。

あと大友はなんせ笑顔が可愛い。太陽のもとで笑う大友は本当に眩しい。

中盤、夏芽がコウちゃんと大友を想いながらペディキュアを塗るシーンがある。コウちゃんを想いながら深い青色を、大友を想いながら赤色を爪に施していくのだけど、そこで夏芽が思い起こす大友は、満開の椿の木を背に椿の花を咥えて優しく微笑んでいる。ほんの数秒しか流れない映像なのに、全編通して一番印象に残っているのは、大友の懐の広さとか柔軟な優しさとか抜群の安心感が滲み出ているからなのかな。あと純粋に椿を咥えた重岡くんがかっこよすぎる。あの映像を見た瞬間DVD買おうと心に決めた。

 いや本当に1800円で重岡くんと恋愛した気分になれるなんて、安くない??

 

 

上白石萌音ちゃんの役について】

上白石萌音ちゃんの役、カナが私は結構好きだった。カナはダサくて目立たない女の子。平凡な彼女の周りにいるのは、何にも囚われず自由奔放、それでいて誇り高いコウちゃんと、ある日突然東京からやって来た光り輝く美少女(しかも芸能人の)夏芽。他の子とは何かが違う二人に憧れていれば近くにいれば、今までの自分とは違う自分になれるようなみんなに賞賛してもらえる存在になれるような、中学生のカナはそんな儚い夢を抱いているんだろう。だから異常なくらいコウちゃんを崇拝しているし夏芽を賛美しまくる。それなのに、夏芽は婦女暴行の被害者として噂の的となり、周囲の視線も一変し腫れ物に触るよう。転校してきたときのキラキラオーラは見る影もなってしまう。片や自分は見事に高校デビューを果たし、華やかな女子高生の仲間入り。そんな状況にあってカナは「夏芽は特別な人じゃなかったんだ、わたしと同じ普通の人なんだ、なーんだ、何をそんなに憧れていたんだろう?」と気づいてしまう。心底憧れていたからこそ落胆も大きかったんだろう。別に誰かのおこぼれにあずからなくても自分は自分で変えられる。それに気づいてしまったから、カナはちょっぴり夏芽に意地悪になる。でも私はカナの意地悪さを嫌だなとは感じなかった。中学高校のときって、学校の中だけで世界が完結しているような気がしていたから、クラスの中心に立つ子や常に話題の中心にいる子が正解なんだと思わされていた。だからオーラのある子には憧れるし自分に自信がある子、言いたいことを言える子になりたいと思っていた。でもスクールカーストのなかで自分を変えるのって本当に難しくて、だから、キラキラしてる子といるとなんとなく自分もキラキラしているような気分になれていた。そんなわけないのに。だからカナには、中高生の世界の狭さとか他者と自分の生き方とか、あぁわかるなあって共感するところがたくさんあった。

 そして、カナの消化しきれない落胆が夏芽だけに向くのはやっぱり女の子だなあと思った。少しの綻びもなかったコウちゃんが夏芽と出会ったことで人間らしい弱さや逃げる姿を目にしてしまったから、コウちゃんがコウちゃんでなくなったら今まで信じてきたものが崩れそうで、夏芽さえいなければコウちゃんはずっとコウちゃんなのにって。ちょっと歪んでるけど、きっとカナは純粋にコウちゃんのことが大切なんだろう。

って、思うからこそ、カナの演出に残念さも感じる。観客が感情移入できるのは絶対的にカナの方だから、もう少し丁寧に演出してほしかったかな。

 

 

溺れるナイフというタイトル】

溺れるって理性を失うほど夢中になるってことだから、何もない田舎町で「普通」に染まらないナイフのように鋭い孤高の存在感を放つコウちゃんと夏芽がお互いに溺れ合うっていう意味なのかなあと、観る前は思っていた。おそらくそういう意味も当たり前にあるんだろうけど、観終わってからまた違う意味があるんじゃないかなあと。ナイフはコウちゃんの自尊心とかプライドとか劇中の言葉を使えば誇りとかそういう、コウちゃんをコウちゃんたらしめているものの象徴なのかなと思う。ナイフって武器だから、コウちゃんが持っている武器=気高い誇りなのかな。そしてコウちゃんの気高さっていうのは、夏芽がコウちゃんに一番求めているものでもあって、そのナイフを夏芽に放り投げる、つまり夏芽が憧れているコウちゃんの気高さをコウちゃん自身が手放すということは、「もう俺はお前が望む俺じゃない」というメッセージなのかもしれない。実際「もう会わん」という台詞もあるし。そのナイフが溺れる=息ができなくてもがいて苦しくて死にそうになる、って、誇り高きコウちゃんとそれを強烈に欲する夏芽の依存のような関わり合いを想起させる、本当によくできたタイトルだなと思う。

 

 

 

もう一回、見にいこう。

俺のどこが好きなのかな?(笑)

 

 

↑のこまりさんのツイートを受けまして。わたしもトライしてみます。

 

ふっかさんに「俺のどこが好きなのかな?(笑)」と聞かれた時の答え方。

 

「アイドルとしての自分を肯定している姿」

アイドルには自分が一番魅力的でしょ?って思っていて欲しい。だってアイドルだから。黄色い歓声を一心に浴びるアイドルが、自分なんて…って卑屈になっていたらわたしは嫌だ。実力不相応な自信に溺れているのもみっともないけど、自分に自信のないアイドルにあんまり魅力は感じられないよね。

ふっかさんは自信の持ち方がすごく上手い。三枚目キャラのふっかさんだけど、アイドルとしての自分を肯定している姿勢がすごくかっこいい。かっこいいねって言われたら「でしょ!?」と図に乗るでもなく「いやそんなことないよ」と謙遜するでもなく「うん、だっておれアイドルだから」と微笑んでくれそうなところ。顔デカイとか言われているけど「実は自分の顔そんなに嫌いじゃない」と言ってくれたふっかさんがだいすき。

 

「絶妙な普通っぽさ」

ステージでキラキラ輝くアイドルはトイレにも行かないし女のコといかがわしいこともしないんだよね??そういう世界にいながら「好きなお酒はビール」とか24歳の男の人らしさをちょっぴり見せてくれるふっかさん。好きなアイドルの素の姿を見たい、でも全部は見たくないという複雑なオタク心を満たしてくれる。普通っぽさを醸し出すのが絶妙だなあといつも感嘆している。ナチュラル爆モテ発言連発もそのひとつだよね。

 

「嫌いなところがないんだもん。」
これまで色んなジャニーズアイドルにときめき、応援したいと思い、夢中になってきたけれど、なぜ今こんなにもふっかさんに盲目なのか。わたしはアイドルの好きなとこしか見ない年中春爛漫脳内お花畑オタクですが、アイドルも人間だしわたしも人間なので、「あっこの発言すきじゃないなあ」とか「今の言葉遣いイヤかも」なんてことはザラにある。そういうことはサラッと流せる系のオタクなので何の問題もないのですが、ふっかさんにはそれがない。雑誌を細かくきっちり読むタイプだけど、ふっかさんのインタビューにざわっとしたことなんて一度もない。ふっかさんを好きになって2〜3年経つけどふっかさんのこの部分イヤだなすきじゃないなって思う部分がない。本当に一つも。嫌いなところがないから好きってすごく消極的な好意なのかもしれないけれど、アイドルとファンの関係としては不適切かもしれない言葉を使うと、ふっかさんは信頼が置ける。わたしが求めるアイドルでいてくれるふっかさんはアイドルとして信頼できるし安心して好きでいられる。安心して好きでいられるから思いっきり応援できる。だからオタク活動が楽しい。ふっかさんのどこが好きなのか?という質問はよくされるけど、なんだかんだ答えはこれに尽きるなあと思う。

 

 

【おまけ】

こんなシチュエーションで聞きたいセリフだなあと思って、以下純度100%妄想です。

モテモテふっかさんは常に色んな子に告白されているけれどフリ方もお上手で。フラレた女の子たちは口を揃えて「ふっかは断り方が上手い。告白してよかったって思える」と。フラれたはずなのになんだか幸せそうな女の子たちを見て、好きだと言ってしまいたい欲がムクムク。そうして玉砕覚悟で告白して、他の女の子と同じように甘くて優しいごめんね?を待っていたところへの、この一言。

 「俺のどこが好きなのかな?」

思わず顔を凝視するとふにゃっと笑ってなんでもないよと、こちらがなんで?と問う前にスルッと身を翻す掴みどころのないふっかさん。余計すきになるわ!!

 

おわり。

アイドルへ少しの同情と多大なる賞賛を

比較的、面が割れやすい仕事をしています。芸能人ほどではないけれど、〇〇で買い物してたとか△△で食事してたとか、私生活で何をしていたか?が露出しやすくて、根も葉もない噂話をされることもあります。自分の仕事ぶりが職場の人以外からも評価されるような仕事です。とても人の目が気にして仕事をしています。加えて私は人から見られること注目を浴びること噂話をされることが極めて苦手な陰日向にこっそり咲いていたいタイプなので、余計ストレスに感じ、就きたくて目指した職業なのに鬱屈とした気分になることもしばしば。

先日、同業者でジャニオタである友人と話した時に、彼女もやっぱり同じことを感じていて、「アイドルの気持ちちょっとわかるよね」なんて笑い話になりました。

 テレビに出ているだけで不特定多数の人の目に触れるのに、私生活や個人情報までも追われネットに晒され、雰囲気だけでどんな人物か推察されるならまだしも時には嫌悪さえされて。身に覚えのない噂話をされることも実力を見てもらえないことも一般人より遥かに多くて。少しの綻びも許されない。それが芸能人である以上避けられない現実なのはわかっているけれど、「人に見られる」その苦労がほんの少し、ほんの少しだけわかるような気がするから、アイドルって大変だな、可哀相だなとお門違いの同情をしてしまいました。

でもそれと同時に、だからこそ尊いなとも。
笑顔に癒やされて、歌って踊る姿にときめいて、言葉の端々に妄想を膨らませて、…(たまに奈落の底へ突き落とされることもあるけれど)多くの人のエネルギーになっていることは間違いない。

いつだったか、KAT-TUN上田くんが口にした言葉が強く印象に残っています。

「僕らは私生活を切り売りして同年代の会社員より高い給料を貰っている」

 

 

アイドルは、偉大だ。

 

 

SnowManとサラダ記念日を祝う

教科書にも掲載されたことがある

「この味がいいねと君が言ったから

七月六日はサラダ記念日」

という、歌人俵万智の代表作『サラダ記念日』。祝日でもなければイベント事もないふつうの日、なんの変哲もないただの平日だったのに、君のために作ったサラダを君が美味しいと言ってくれただけで特別な日になったという胸キュン短歌。せっかくだから、SnowManのイメージに合わせた俵万智の短歌をチョイスして、サラダ記念日をお祝いしよう。

 

渡辺翔太】

―落ちてきた雨を見上げてそのままの形でふいに、唇が欲し

…女の子が渡辺くんに別れを告げられる場面だと想定して。突然の別れ話を受け入れられず、どうしようもなくなって黙りこんで下を向いていると、肌を湿らし始めた水滴。雨だと思って俯いていた顔を上げると視界に入ってきたのは渡辺くんのキレーな顔。思わずキスをすれば、渡辺くんは渡辺くんで、最後だし、と思って受け入れてあげちゃう爆モテ。雨のなか髪や頬に雫を伝わせながらキスをする渡辺くん。淫靡だわ。

 

【佐久間大介】

―年下の男に「おまえ」と呼ばれていてぬるきミルクのような幸せ

「ぬるきミルクのような幸せ」と佐久間くんの親和性たるや…!!このフレーズだけで佐久間くんにぴったりだと思ってしまったから、年上の女性を「おまえ」と呼ぶ佐久間くんは実はあんまり想像できていない。あの仔犬のようなクリクリお目目を輝かせながら名前を読んでもらえたら、確かにぬるいミルクのような甘くて柔らかい気持ちになれそうなことを想像に難くない。

 

阿部亮平

―金曜の六時に君と会うために始まっている月曜の朝

憂鬱な月曜の朝だけど、週末の約束を楽しみにがんばろうという爽やかさが阿部くんにぴったりだなあと感じて。更に、恋愛に現を抜かして他のことに手を抜くわけでも仕事や勉強が疎かになるわけでもない実直さもよめる。やりたいこともやらなきゃいけないことも真摯に取り組んで、自分の責任を自覚している阿部くんに、本当に頭が下がる。

 

【岩本照】

―「おまえ俺に言いたいことがあるだろう」決めつけられてそんな気もする

ふつうの殿方が口にすれば、少女漫画かよ!と一蹴されてしまいそうな台詞も、ジャニーズの手にかかれば胸キュンワードに早替わり。机に向かい合って座り、下から顔を覗きこまれながら「俺に言いたいことないの?」なんて言われた日にはジェットコースターロマンス始まっちゃう。岩本くんの確かな経験に基づいた自信をかっこよく伝えられる一首。

 

宮舘涼太

―潮風に君の匂いがふいに舞う抱き寄せられて貝殻になる

浜辺で潮風に吹かれていれば、それまで潮の香りがしていたのが一瞬で君の匂いに変わるほど強く抱きしめられ、貝殻のようにぴったりとくっついた…。海岸で彼女を急に抱きしめるなんて月9ばりのロマンチックさ、宮舘くんなら容易でしょう…!!この一首は宮舘くんにしかだめだ…!!と思って即決。宮舘くんいい香りしそう。

 

【深澤辰哉】

―無邪気という邪鬼ひそませて会いに行く好きだけだから好きだから好き

 万人に分け隔てなく優しくて面白くてみんなに愛されるけれどみんなと一定の距離を保っていそうな深澤くん。人には踏み込ませない領域を持っていてそこに踏み入ってこようとする者は笑顔で柔らかくしかし確実に拒絶。そんな深澤くんに近づきたくて特別になりたくて、下心を無邪気な仮面に隠して深澤くんに会いに行く女の子の強かさ。きっと一生、一線は越えられないね。深澤くんの儚さとか掴みきれない人間性とか、誰にも依存しなそうな深澤くんの淡白さを語れる一首だなあと。とても似合う。

 

短歌たのしい。次は相聞歌で書きたいなあ、