1800円で重岡くんと恋ができるよ

 溺れるナイフ公開初日、仕事があったのだけどどうしても見たかったから無理やり切り上げて夜6時半、映画館に滑り込み。お目当てはもちろん重岡くん。序盤は、少女マンガの実写化にありがちな三段飛ばしくらいの急展開で、えっどうしてそうなったの?なんでこうなってるの?と疑問符浮かべていたのだけど、気づけばそんな違和感はすっかり消え去って、目を背けたくなる苦しさと一時も見逃したくない高揚感がないまぜになっていて、観終わったら疲れ果てていた。そんな溺れるナイフの感想と考察。

【大友勝利と重岡大毅

前評判でも言われていたように、本当に重岡くんにぴったりの役柄だったと思う。明るく前向き、誠実で思慮深くそれでいて絶妙な雄らしさ。確かに大友って重岡くんぽいんだけど、キャラクターが似ているからといって完全に重岡大毅であることはなかったし、あくまで重岡くんぽいだった。特に夏芽とのキスシーン。夏芽に唇を寄せつつも、一瞬顎を引いてキスを躊躇う大友。照れとも違う一瞬の躊躇い、なんとも言えない間。その一瞬があるかないかで観客のドキドキ感違ってくるだろうし、最高に甘酸っぱいキスシーンになっていたなと思う。あの一瞬の絶妙な間は、重岡くんの自然体な演技なんだろうなあ。キスシーンを撮ったあと、神山くんに「キスシーン撮ってきたで」と報告したというエピソードまで含めて、良いキスシーンだった。

夏芽の「好きにならないよ」という言葉に対して「おれは、そういうのはええんじゃ」と返す大友もすき。大友は強い男の子だよね。コウちゃんの強さとは質が違う。コウちゃんは永遠に頂点に君臨し続ける強さだけど、大友は努力が報われなくてもプライドへし折られても何度でも立ち上がることができる強さ。重岡くんの秘めたる闘志や堅実さが上手に反映されてるなあと思った。だから夏芽とは大友には手放しで感情を吐露できるんじゃないだろうか。

あと大友はなんせ笑顔が可愛い。太陽のもとで笑う大友は本当に眩しい。

中盤、夏芽がコウちゃんと大友を想いながらペディキュアを塗るシーンがある。コウちゃんを想いながら深い青色を、大友を想いながら赤色を爪に施していくのだけど、そこで夏芽が思い起こす大友は、満開の椿の木を背に椿の花を咥えて優しく微笑んでいる。ほんの数秒しか流れない映像なのに、全編通して一番印象に残っているのは、大友の懐の広さとか柔軟な優しさとか抜群の安心感が滲み出ているからなのかな。あと純粋に椿を咥えた重岡くんがかっこよすぎる。あの映像を見た瞬間DVD買おうと心に決めた。

 いや本当に1800円で重岡くんと恋愛した気分になれるなんて、安くない??

 

 

上白石萌音ちゃんの役について】

上白石萌音ちゃんの役、カナが私は結構好きだった。カナはダサくて目立たない女の子。平凡な彼女の周りにいるのは、何にも囚われず自由奔放、それでいて誇り高いコウちゃんと、ある日突然東京からやって来た光り輝く美少女(しかも芸能人の)夏芽。他の子とは何かが違う二人に憧れていれば近くにいれば、今までの自分とは違う自分になれるようなみんなに賞賛してもらえる存在になれるような、中学生のカナはそんな儚い夢を抱いているんだろう。だから異常なくらいコウちゃんを崇拝しているし夏芽を賛美しまくる。それなのに、夏芽は婦女暴行の被害者として噂の的となり、周囲の視線も一変し腫れ物に触るよう。転校してきたときのキラキラオーラは見る影もなってしまう。片や自分は見事に高校デビューを果たし、華やかな女子高生の仲間入り。そんな状況にあってカナは「夏芽は特別な人じゃなかったんだ、わたしと同じ普通の人なんだ、なーんだ、何をそんなに憧れていたんだろう?」と気づいてしまう。心底憧れていたからこそ落胆も大きかったんだろう。別に誰かのおこぼれにあずからなくても自分は自分で変えられる。それに気づいてしまったから、カナはちょっぴり夏芽に意地悪になる。でも私はカナの意地悪さを嫌だなとは感じなかった。中学高校のときって、学校の中だけで世界が完結しているような気がしていたから、クラスの中心に立つ子や常に話題の中心にいる子が正解なんだと思わされていた。だからオーラのある子には憧れるし自分に自信がある子、言いたいことを言える子になりたいと思っていた。でもスクールカーストのなかで自分を変えるのって本当に難しくて、だから、キラキラしてる子といるとなんとなく自分もキラキラしているような気分になれていた。そんなわけないのに。だからカナには、中高生の世界の狭さとか他者と自分の生き方とか、あぁわかるなあって共感するところがたくさんあった。

 そして、カナの消化しきれない落胆が夏芽だけに向くのはやっぱり女の子だなあと思った。少しの綻びもなかったコウちゃんが夏芽と出会ったことで人間らしい弱さや逃げる姿を目にしてしまったから、コウちゃんがコウちゃんでなくなったら今まで信じてきたものが崩れそうで、夏芽さえいなければコウちゃんはずっとコウちゃんなのにって。ちょっと歪んでるけど、きっとカナは純粋にコウちゃんのことが大切なんだろう。

って、思うからこそ、カナの演出に残念さも感じる。観客が感情移入できるのは絶対的にカナの方だから、もう少し丁寧に演出してほしかったかな。

 

 

溺れるナイフというタイトル】

溺れるって理性を失うほど夢中になるってことだから、何もない田舎町で「普通」に染まらないナイフのように鋭い孤高の存在感を放つコウちゃんと夏芽がお互いに溺れ合うっていう意味なのかなあと、観る前は思っていた。おそらくそういう意味も当たり前にあるんだろうけど、観終わってからまた違う意味があるんじゃないかなあと。ナイフはコウちゃんの自尊心とかプライドとか劇中の言葉を使えば誇りとかそういう、コウちゃんをコウちゃんたらしめているものの象徴なのかなと思う。ナイフって武器だから、コウちゃんが持っている武器=気高い誇りなのかな。そしてコウちゃんの気高さっていうのは、夏芽がコウちゃんに一番求めているものでもあって、そのナイフを夏芽に放り投げる、つまり夏芽が憧れているコウちゃんの気高さをコウちゃん自身が手放すということは、「もう俺はお前が望む俺じゃない」というメッセージなのかもしれない。実際「もう会わん」という台詞もあるし。そのナイフが溺れる=息ができなくてもがいて苦しくて死にそうになる、って、誇り高きコウちゃんとそれを強烈に欲する夏芽の依存のような関わり合いを想起させる、本当によくできたタイトルだなと思う。

 

 

 

もう一回、見にいこう。